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ようこそ。私 ekizo が名曲の歌詞を和訳して、紹介するウェブサイトです。チャック・ベリーのあの名曲のように詩情豊かな歌詞をできるだけ平易かつ忠実に翻訳し、歌のイデアの鐘を鳴らそうとする試みです。

歌詞の最後に( )で記したのが作詞者で、カテゴリ付けしたのがその曲の代表的なアーティストです。

ヘッダー画像はここ、サイトのファヴィコンはここから拝借しています。歌詞の著作権の侵害は意図していません。和訳詞の掲載を望まない著作権者の方がおられれば、お手数ですが、こちらからご連絡ください。すみやかに対処いたします。

その他のご要望、ご質問、メッセージなどもこちらからお送りください。

I, the writer of this blog, have no intention of violating any law. If you own rights to the lyrics and do not wish the Japanese translated lyrics to appear on this website, please let me know via this contact page. I will react immediately.


サイト名と副題の由来

サイト名は「ロックの最初の詩人」チャック・ベリーの代表曲「Johnny B. Goode」の歌詞から引いています。「He could play the guitar just like a ringing a bell. (彼はまるで鐘を鳴らすようにギターを弾けた)」という一節は、チャック・ベリーの比喩の才能が発揮された、好例だと思います。

サイト名の方は直感で割りとすぐ決まったのですが、副題には少々、悩みました。結局、「名曲が『わかる』訳詞集」としましたが、この副題に関しては、ちょっと言い訳がましいことを書かせてください。名曲を「わかる」必要なんて無いからです。

よく、洋楽は何言ってるか分からない、と気にする人がいますが、私は別に、ノリで聞けばいいんじゃないかと思っています。

ノリで聞く、というのを別の言葉で言えば、そのまま呑み込む、ということです。丸呑み、というか。

アートは「丸ごと」です。何かの要素に分けたりすることは出来ない。要素を足して行けば立ち現れる、というのはアートではありません。

何をいきなり、と思われるかも知れませんが、別にアートに限らず、実はたいていの物事が「丸ごと」だと思います。例えば、あなたも「丸ごと」でしょう。要素をいくら足しても、あなたにはならないのではないですか。年齢(32歳)、性別(女性)、身長(160センチ)、基本明るい性格、だけど親のことを考えると暗くなる、とか、あるいは右足、左腕、耳、鼻とか、何でもいいですけど、そういうことをいくら積み重ねても、そこにいるあなたにはならないでしょう。あなたに関する説明が増えていくだけで。

「なんでもバランスが重要」とはこの世の真理の一つだと思いますが、ことアートに関しては、それは当てはまらないはずです。バランスを取る、ということは物事を要素に切り分けて、その要素間の比重に気をつけるということ。しかしその真理は、要素に切り分けられない、アートのようなものの前では無効です。

そして「わかる」とは、「分かる」と書くことから見ても、何かを要素に分けて、自らの知識と関連させる行為です。とすると、「名曲がわかる」と喧伝することは、歌を切り分けられるものと捉えていることになってしまいます。

私は、歌も「丸ごと」で、要素に切り分けられないと思っています。この音と、あの音と、この単語と、この抑揚と、と足していってみても、決して、私たちが感動したあの歌そのものにはなり得ません。だから、もしもその歌に感動できないなら、それはそれまでのことなのです。丸ごと呑み込んでみても、ノレないなら仕方がない。そこを無理に「分かろう」とする必要なんてないわけです。

それなのになぜ、歌詞、などという要素に切り分けて、それを持ち出して、サイトを作るのか。アーティストに対し、失礼ではないのか(歌から歌詞を分離することを嫌うアーティストもいたはず。歌詞カードを意図的に作らない人もいます)。歌という「丸ごと」な何かを冒涜する行為ではないのか。

一言で言えば、このサイトは、「ノリが悪い人向け」なんです。歌をそのまま呑み込めなくなった、大人のためのサイトです。実は私がそうです。そうなって来ました、最近。若いうちはノリでイケたんですが…。

大人は、次々と現れる新奇な物事を、要素に切り分けて、分別して処理しながら、各要素の間でそれなりにうまくバランスを取りながら生きている生き物でしょう。いちいち丸呑みして全身全霊で噛みしめてたら、早晩、くたばりますから。

そうして(なんとか)生きているうちに、すっかりノレない大人になってしまいます。それでも、昔に感動できた歌なら、時々は、あの頃のように素っ裸でノリノリになれることがあるかも知れません。でも大抵の場合、得てして、大人びた心で解析をはじめてしまうのです。「あれ、この曲のギターってエレキじゃなかったんだ」とか「ここ、主語がSheなのに、なんでDon’tなんだ」とかの(どうでもいい)要素の方が気になって、しまいには「はいはい、なるほど、こんな曲でした」と分別して処理する、なんてことになるわけです。私のことです。

ここに訳出した歌は、私にとって、本当に大切な歌ばかりなんです。処理して物置にしまう、なんてことは、絶対にできないものばかりです。それどころか、いざという時、自分という存在の拠り所となるものです。それほど大切なものを、「丸ごと」なアートとして、もう一回、きちんと味わってみたかった。大人として。大人になった今、この名曲たちを、もしかしたら若かった時よりも、もっとずっと必要としているかも知れないのです。

簡単に言ってしまえば、名曲を再鑑賞して、元気になりたかったんです。しかし再鑑賞するには、破片を一つ一つセロテープでくっつけて偉大な名品を復元するようにするしか、方法がありませんでした。その昔、「丸ごと」なアートとして完全なまま胸にしまわれていたものが、いつの間にか、心の奥で分解されていた。それを復元するには、要素を集めて復元してみるしかない(なぜ “She don’t” という表現なのか考えてみたりして)。もちろん、すべての破片は集まらない。仮に「すべて」の破片が集まって「完全に」復元できたとしても、それは破壊される前の、あのアートとは決定的に違う。今の私はただ、丁寧に復元して、元の姿を憧憬するだけなのです。或いはもしかしたら、何かの奇跡が起きて、昔の姿を越える、新しい「大人バージョンの」名品が出現しないとも限らない、なんて夢を見ながら。

できるだけ直訳すること。でも意味がちゃんと通ること。気をつけたのは、その二点です。復元する際に余計なものを使って、たとえば私の所持品なんかで適当にすき間を埋めていくと、ぱっと目、きれいに復元できたように感じても、その実、大切な何かが欠け落ちてしまいます。かと言って、原型が想像できないくらいの欠落を、そのままには出来ません。その際には、細心の注意を心掛け、最大限の資料にあたって、言葉を足しています。

最後に、すんなり決まったと書いたサイト名「RINGING-A-BELL」のことを少しだけ。初めに書いた通り、チャック・ベリーの曲名が由来ですが、もう一つ、意味を掛けています。

サイト名に込めたもう一つの意味は、「ring a bell」という英語の慣用句から来ています。「The name rings a bell. (その名前には聞き覚えがある)」のように、思い出させる、記憶を呼び起こす、などの意味で使われる言葉です。

呼び起こしたいのに、おそらく呼び起こせない、(それゆえに呼び起こそうと ringing し続けたい)感覚。実はそれこそが、先程から書いている、これらの名曲を聞いた時の、あの、ビリっと電流が走るような生々しい感動です。意味を通しながら忠実に訳出していくことで、あのノリ、あの電流をもう一度呼び起こしたい、否、呼び起こせると信じよう。あの「丸ごと」な感動、つまり歌の「イデアの鐘」をふたたび鳴らしてみようじゃないか。このサイトが目指すのはそこだ、というわけです。

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