サイト名と副題の由来

サイト名はチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」の一節から引いています。「ロックの最初の詩人」チャック・ベリーの代表曲です。「He could play the guitar just like a ringing a bell. (彼はまるで鐘を鳴らすようにギターを弾けた)」という一節は、チャック・ベリーの比喩の才能が発揮された、好例です。このような、まさに詩的な一瞬に、本サイトを捧げたいとの思いで名付けました。

サイト名は直感で割りとすぐ決まったのですが、副題には少々、悩みました。「名曲が『わかる』訳詞集」という副題には、自分で付けておいて何ですが、反発を感じます。名曲を「わかる」必要なんて無いと思うからです。

歌はノリで聞けばいいと思います。よく、洋楽は何言ってるか分からない、と気にする人がいますが、そんなのノリで聞けばいいじゃん、と。

ノリで聞く、というのを別の言葉で言えば、そのまま呑み込む、ということです。この「そのまま」が重要です。トータルで感じなきゃ、ということです。

アートとはトータルなものです。何かの要素に分けたりすることは出来ないと思っています。要素を足して行けば立ち現れる、というのはアートではありません。歌は、歌詞+メロディ+伴奏+・・・とイコールではありません。

何をいきなり、と思われるかも知れませんが、別にアートに限らず、たいていの物事はトータルだと思います。例えば、あなたもトータルでしょう。要素をいくら足しても、あなたにはならないのではないですか。年齢(32歳)、性別(女性)、身長(160センチ)、基本明るい性格、だけど親のことを考えると暗くなる、とか、あるいは右足、左腕、鼻とか、何でもいいですけど、そういうことをいくら積み重ねても、そこにいるあなたにはならないでしょう。あなたに関する説明が増えていくだけで。

「なんでもバランスが重要」とはこの世の真理の一つだと思いますが、ことアートに関しては、それは当てはまらないはずです。バランスを取る、ということは物事を要素に切り分けて、その要素間の比重に気をつけるということ。しかしその真理は、要素に切り分けられない歌のようなものの前では無効です。このことは、アーティストに、いわゆるバランス感覚の欠けている人が多いことと、無関係ではないと思います。

「わかる」とは、「分かる」と書くことから見ても、何かを要素に分けて、自らの知識と関連させる行為です。とすると、「名曲がわかる」と喧伝することは、歌を切り分けられるものと捉えていると宣言することに他なりません。

私は、歌もトータルなもので、要素に切り分けられないと思っています。この音と、あの音と、この言語と、この抑揚と、と足していってみても、決して、私たちが感動したあの歌そのものにはなり得ません。もしも感動できないなら、それまでのことで、丸ごと呑み込んでみても、ノレないなら仕方がない。そこを無理に「分かろう」とする必要なんてないわけです。

それなのになぜ、歌詞、などという要素に切り分けて、それを持ち出して、サイトを作るのか。アーティストに対し、失礼ではないのか(歌から歌詞を分離することを嫌うアーティストもいたはず。歌詞カードを意図的に作らない人もいます)。歌というトータルな何かを冒涜する行為ではないのか。

一言で言えば、このサイトは、「ノリが悪い人向け」なんです。歌をそのまま呑み込めなくなった、大人のためのサイトです。実は私がそうです。そうなって来ました、最近。若いうちはノリでイケたんですが、大人を長くやってるうちに、どうも。

大人は、次々と現れる新奇な物事を、要素に切り分けて、分別して処理しながら、数多の要素の間でそれなりにうまくバランスを取りながら生きている生き物でしょう。いちいち丸呑みして全身全霊で噛みしめてたら、早晩、くたばりますから。

そうして(なんとか)生きているうちに、すっかりノレない大人になってしまいます。それでも、昔に感動できた歌なら、時々は、あの頃のように素っ裸でノリノリになれることがあるかも知れません。でも大抵は、往々にして、大人びた心で解析をはじめ、「あれ、この曲のギターってエレキじゃなかったんだ」とか「ここ、主語がSHEなのに、なんでDon’tなんだ」とかの(どうでもいい)要素の方が気になって、しまいには「はいはい、なるほど、こんな曲でした」と分別して処理する、なんてことになるわけです。私のことです。

ここに訳出した歌は、私にとって、本当に大切な歌ばかりなんです。処理して物置にしまう、なんてことは、絶対にできないものばかりです。それどころか、いざという時、自分という存在の拠り所となるものです。それほど大切なものを、トータルなアートとして、もう一回、きちんと味わってみたかった。大人として。大人になった今、この名曲たちを、もしかしたら若かった時よりも、もっとずっと必要としている気がしています。

簡単に言うと、名曲を再鑑賞して、元気になりたかったんです。しかし再鑑賞するには、破片を一つ一つセロテープでくっつけて偉大な名品を復元するようにするしか、方法がなかったわけです。昔、トータルなアートとして完全なまま胸にしまわれていたものが、いつの間にか、分解されていた。それを復元するには、要素を集めて復元してみるしかないのです。もちろん、すべての破片は集まらないし、仮に「すべて」の破片が集まって「完全に」復元できたとしても、それは破壊される前の、あのアートとは決定的に違う。今の私はただ、それを憧憬するだけです。

できるだけ直訳すること。でも意味がちゃんと通ること。気をつけたのは、その二点です。復元する際に余計なものを使って、たとえば私の所持品なんかで適当にすき間を埋めていくと、ぱっと目、きれいに復元できたように感じても、その実、大切な何かが欠け落ちてしまいます。かと言って、原型が想像できないくらいの欠落を、そのままには出来ません。その際には、細心の注意を心掛け、最大限の資料にあたって、言葉を足しています。

最後に、すんなり決まったと書いたサイト名「RINGING-A-BELL」のことを少しだけ。初めに書いた通り、チャック・ベリーの曲名が由来ですが、もう一つ、意味をかけています。

サイト名に込めたもう一つの意味は、「Ring a bell」という英語の慣用句から来ています。「The name rings a bell. (その名前には聞き覚えがある)」のように、思い出させる、記憶を呼び起こす、などの意味で使われる言葉です。

呼び起こしたいのに、おそらく呼び起こせない、(それゆえに呼び起こそうと ringing し続けたい)感覚。実はそれこそが、先程から書いている、これらの名曲を聞いた時の、あの、感動でビリっと電流が走るような生々しい感覚です。意味を通しながら忠実に訳出していくことで、あのノリ、あの電流をもう一度呼び起こしたい、否、呼び起こせると信じよう。あのトータルな感動、つまり歌の「イデアの鐘」を鳴らしてみようじゃないか。このサイトではそういったことを試みているんだ、というわけです。

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